認知症の人と家族の会県支部代表・斎藤裕子さん
わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。
2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。
わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。
そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。
介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。
今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。
『
◇地域ぐるみで介護を--斎藤裕子さん(75)
認知症患者は年々増え続けている。県内で認知症で要介護、要支援と認定された人は昨年初めて3万人を超えた。認知症の義母を14年間介護した「認知症の人と家族の会」(本部・京都市)山形県支部代表の斎藤裕子さん(75)に、支部の取り組みや認知症の現状を聞いた。【林奈緒美】
--いつから介護を。
共働きで、義母が食事を作ってくれていたけれど、私の子供たちに「豆腐を買ってきて」とお使いを頼むのに5円しか渡さない。これは変だぞ、と。私が45歳、義母が87歳だった81年ごろの時のことです。
--どんな苦労を。
徘徊(はいかい)して勝手に他人の家に上がる。「金を盗んだ」とののしる。興奮して引っかかれ平手打ちをされる。食べ終えたご飯を「私だけ食べさせてもらえない」と怒る。夕方には「家に帰る」と言い、家を出て行く。結局、52歳で仕事を辞め介護に専念した。
--家族の会に入ったきっかけは。
集会があると知り、1時間吐き出すようにしゃべった。「大変だったね」と話を聞いてもらい、「最も頼りしている人に一番つらく当たるんだよ」と教えられた。胸がスーッと楽になり、即、入会しました。90年のこと。義母はその約3年後に100歳で亡くなった。
--会の活動は。
月に1度、お茶菓子をつまみながらおむつの安い店や、介護の苦労話などを話す。新顔が見えると「どんなことで悩んでるの」と声をかける。入りやすいようにドアはいつも開けっぱなし。
--最近多い相談は。
40~50歳で発症する若年期認知症が増えている。あまり知られていないので、症状が進むまで気付かれない。働き盛りの人が働けなくなるので、経済的にも苦しく、子どもが小さいと影響が大きい。
--介護者へのアドバイスを。
100%の介護なんてできない。完ぺきを求めないこと。隠したがる人も多いが、一人で苦しまず、周囲に知らせると随分楽になる。周囲の人は、まずは黙って愚痴を聞いてあげて。
--県に要望は。
認知症の基本的な知識を学ぶサポーター制度の会員が増えるよう働きかけてほしい。認知症の早期発見や、地域ぐるみでの見守り活動につながれば、介護はもっと楽になる。
◇さいとう・ひろこ
山形市出身。1955年、山形大教育学部卒、元中学校体育教諭。山形支部は会員約120人。介護中の家族や、みとり終えた元介護者が会員。02年から代表。趣味はカメラで孫の写真を撮ること。
毎日新聞