(99)孫の養育援助 側面で十分
わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。
2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。
わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。
そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。
介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。
今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。
『
東さん夫婦(仮名)は、2人とも来年で70歳を迎える。悠々自適の老後を送れると思っていたところ、アテが外れた。結婚していた長女が3歳の孫を連れて戻ってきたのだ。
原因は夫の暴力だ。家庭裁判所の離婚調停で話し合っているが、親権で対立している。夫の両親が、跡取りの孫を渡すわけにはいかないと頑張っているのだ。
夫は長女に「自分は資力があるから子どもに十分な教育を施せる。子どもを渡さないなら養育費を払うつもりはない。実家の援助を受けて生活しろ。実家に資力がなければ、子どもは教育を受けられずにかわいそうだがそれでいいのか」と言い出した。
東さん夫婦には年金があり、暮らしには不自由しないが、孫まで養育する経済的な余裕はない。長女は必死に働き、東さん夫婦が子どもの保育園の送り迎えをしている。
東さん夫婦は、親権取得のためには、なけなしの預金を使って孫を養育する覚悟があることを調停で示す必要があるのかと思い詰め、弁護士に相談した。孫には何でもしてやりたいが、自分たちが病気をしたときの費用が心配だ。葬式費用も残しておきたい。少子化のいま、離婚時の子どもの奪い合いが、双方の実家を交えた争いになることが少なくない。いきおい、実家の親の負担も大きくなり、老後の生活設計が狂うという事態もでてくる。
一般に、親権を決める基準は「どちらが親権者になることが子の福祉にかなうか」ということだ。父母の収入や実家の資力で決まるわけではない。親権者にならなかった父親も子への扶養義務はあり、養育費の支払いは免れられない。「側面からできるだけの援助をすればよい」と弁護士が説明すると、東さん夫婦は安心の笑みを浮かべた。(中山二基子、弁護士)
読売新聞