(96)署名・押印 内容確認してから
わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。
2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。
わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。
そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。
介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。
今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。
『
賢さん(仮名、78歳)は5人きょうだいの末っ子だ。実家は長兄が継ぎ、両親をみとってくれた。
半年前に父親が亡くなったが、まだ遺産分割は行われていない。先日、長兄が、「相続の手続きをする。遺産分割協議書に実印と印鑑証明書がいるので、明日預かりに行くから用意しておいてくれ。不動産は僕がもらうが、預金はみんなに分けるから」と言ってきた。
賢さんは、両親を長兄にみてもらったので、預金さえ平等にもらえれば、不動産を長兄が相続することに異存はない。言われるままに実印と印鑑登録証明書を預けるつもりでいたが、妻が心配して弁護士に相談した。
弁護士は、「遺産分割協議の効力が争われるケースでは、『知らないうちに遺産分割協議書に自分の実印が押されている』と主張されることがよくあります。大抵、親族間で信用して実印を預けたようなケースです。しかし、預けた本人が高齢で認知症が出ているような場合を除いて、自分が実印を渡したときには、勝手に判を押されたと言っても通用しないことがあるので注意してください。ご主人も実印を預けるのではなく、遺産分割協議書をいったん預かり、よく読み、納得してから自分で署名し、印を押し、印鑑登録証明書を付けて渡すのがよい方法です。水くさいと言われても、将来のトラブルを防ぐためです」とアドバイスした。
賢さんは「兄貴は、預金はきょうだいで分けると言っているんだからいいではないか」と言ったが、妻から「どんな割合で分けるのか、聞いてないでしょ。長男がほとんどとって、他のきょうだいは10万円ずつでもいいの?」と言われると何も言えなかった。内容を確認してから署名・なつ印をするのは、大人としての責任ある行為に最低限必要なことだ。(中山二基子、弁護士)
読売新聞