(95)社長室出勤 父の生きがい
わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。
2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。
わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。
そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。
介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。
今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。
『
文さん(仮名)の父親(82歳)は、戦後、自動車修理の株式会社を起こし、長年、代表取締役を務めてきた。株主も役員も身内だけの小さな会社だ。父親は3年ほど前から認知症の症状が出てきて、次第に仕事ができなくなった。実際には長男が父親の代わりを務めているが、父親は毎日会社に行くのが生きがいで、社長室に出勤して弁当を食べて帰るのが日課になっている。
父親は最近、急速に認知症が進んで自分の名前を書くこともままならない。なじみの銀行からもそろそろ後見人をつけるよう勧められている。同居している長女の文さんが申し立てて、後見人になるつもりだが、社長の職がどうなるのか気になり、弁護士に相談した。
文「父は社長でいることが生きがいなのです。後見人がついても社長にとどまることができますか」
弁護士「後見や保佐が始まると、本人は会社の取締役にはなれません。従って父上は社長職にとどまることはできません。医療法人の役員なども、同じです」
文「そうですか。父は寂しいでしょうね。でも、これ以上、周りに迷惑をかけられませんから後見の申し立てをします。社長を退くと、給料も受け取れなくなりますね」
弁護士「そうです」
文「でも、両親は年金がありますので、生活には困らないと思います。ところで、父が辞めると取締役が欠けるのですが、後任はどのように選ぶのですか」
弁護士「株主総会を開いて新しい取締役を選任します。後見人が株主である父上に代わって議決権を行使します」
文「後見人はそういうこともやるのですね。父には、社長を辞めても体が元気な間は、毎日、社長室に出勤してもらおうと思います。会社が命なのですから」(中山二基子、弁護士)
読売新聞