介護施設で老いを考えた デイケア/9
わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。
2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。
わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。
人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。
そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。
介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。
今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。
『
◇利用者と施設にある相性
「デイケア編」も最後になった。宮崎市高岡町にある辰元グループのデイケア担当職員、飛田浩邦さん(30)からのデイケア利用者へのアドバイスをまとめておこう。
「デイケアに向いている性格と、向いていない性格は、間違いなくあると思います。デイケアを楽しめる人と、そうでない人がいるんです」
この話は、先述したレクリエーションの際に「幼児的な行為に対して無心になり切れるかどうか」と関係してくる。
レクリエーションが子供じみていようがいまいが「参加することに意義がある」のは事実だろう。体力維持のため、恥ずかしさやプライドを捨て、無心に楽しめる性格の人の方が得なのだ。そういう人の方が、結局は生命力が強いのである。
飛田さんたち職員が「ゲームをしましょうか」と聞いても「何でせにゃならんとか」「せん!」と、激しくはねつける人もいる。一方では、嚥下(えんげ)体操で他の人が「パパパパ、カカカカ」などと声を上げている時は、ふてくされたような態度で横を向いていても、自分が指名されると大声で嚥下体操を披露する人もいる。人それぞれだ。
それは職員についても同じことが言える。レクリエーションの時、職員には率先して参加者の前で歌ったり踊ったりする職務上の必要性がある。飛田さんたちは、専門学校でレクリエーションを運営する訓練を受けてきたため、それを「恥ずかしい」と尻込みする気持ちは克服している。
しかし飛田さんは、若さゆえに昔の歌をあまり知らないため高齢者との共通の話題を見つけるのに苦労する。この施設では、元気のいい水前寺清子の歌がレクリエーションの時間によく流れている。この点、どうしても年配の職員の方が有利になる。歌一つですぐに打ち解ける。年配の職員の言うことなら素直に聞くのに、飛田さんら若い職員が同じことを頼んでも「若造の言うことが聞けるか」という悔しい対応を受ける場面がしばしばある。訓練を受けた職員でさえ悩むのだから、一般の高齢者に人前で子供じみたゲームをさせれば、抵抗を感じる人がいても当然だろう。
「デイケアの参加者には、協調性も求められます。あまりに『我』が強い人は結局続かない。『いっとき休みます』と言って、そのまま来なくなった人もいます」と飛田さんは言う。参加者の多くは、自宅にいれば、一日中誰とも話をせず、寝たり起きたりの時間で終わってしまうだろう。
ただ、それが可能な人はそれでいいのだと、私は思う。デイケア自体はあちこちで開業している。相性のいいデイケアが見つかるまで探せばいい。いずれにせよ、この人生で自分の自由になる時間は減り続けている。無理をせず、マイペースで心地よい一日を過ごせる場所を探すことが大切だ。(「デイケア編」は今回で終わります。しばらく休載した後、連載の最後となる「ケアハウス、有料老人ホーム編」を掲載します)【大島透】
毎日新聞