認知症からの回復(5)

2006年 09月 25日 (月) | Category : 認知症

わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。

2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。

わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。

介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。

今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。

(5)一人の外出 地域が支援


病名打ち明け、協力依頼


東京都の長谷川正さん(71)はアルツハイマー病になった妻のマリ子さんの在宅介護を長年続け、今年1月、自宅でみとった。79歳だった。


マリ子さんは1997年に認知症と診断された。しかし当初3年間は自宅近くを一人で散歩や買い物に出かけた。知らない場所では混乱しても、地元では大丈夫だった。


正さんは近所の家や商店を訪ね、病気を打ち明け、サポートを頼むことにした。勇気が必要だったが、隣家の夫婦は「とにかく何があっても助けるから」と言ってくれた。


マリ子さんは、デイケアへと行く時もバスに一人で乗っていた。バスを待つ間、スポーツ店の店主は道路に出て、世間話をしながら見守った。


なじみの喫茶店で、間違って他人のバッグを持ち出そうとした時には、女主人がやんわり口添えして、おさめてくれた。


「人の集まる所に行って人と同じように喜ぶ。雲や夕日に、心を動かす。発病してからも人間らしい楽しみを味わうことができた」と正さん。


2002年春から、歩行が困難になってきた。アルツハイマー病による脳の萎縮(いしゅく)が、筋肉をつかさどる部分にまで及んできたのだ。マリ子さんが道で倒れそうになった時、米穀店の女主人が店から飛び出し抱きかかえた。


04年、車いすに座っていても体が前に傾くようになった。車いすで散歩していたら、若い女性が抱いていた赤ちゃんの手でマリ子さんの手をなでた。マリ子さんは目を開け、背を伸ばすとニコニコして赤ちゃんに手を伸ばした。


マリ子さんは徘徊(はいかい)もしたし、意味もなく正さんをたたいたこともある。


「良いケアを行えば、症状が起こらないという程、認知症は甘いものではないというのが実感です。悲しい出来事がたくさんあった」


訪問看護師に支えられ、最期まで自宅で暮らした。死の4日前、娘が「たあちゃん(正さんの愛称)のこと好き?」と聞くとうなずいた。「嫌い?」と聞くと、首を横に振った。


正さんは「認知症の人は最期まで周りの優しさを感じる力を持っている。どうか手を差し伸べてください」と実感を込める。


地域ぐるみで認知症の人を支えていこうという機運は全国に広がっている。東京でも交通機関やチェーンストアなどの代表でつくる「認知症高齢者を地域で支える東京会議」が7月に発足した。


厚生労働省などでは、全国で講演会を開催し、認知症を理解した「認知症サポーター」を100万人養成する計画だ。サポーターとなった人は、支援者の目印である「オレンジリング」をつける。正さんの左手にも今、オレンジリングがはめられている。(斎藤雄介)


読売新聞
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