認知症からの回復(3)

2006年 09月 21日 (木) | Category : 認知症

わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。

2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。

わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。

介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。

今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。

(3)「家族の元へ」 施設が支援


適度な飲食・運動自立促す


認知症の人が施設に入ったら、もう自宅には戻れないと考えられがちだ。しかし、認知症の回復を支援し、家族の元に戻す施設も登場している。


長井弘子さん(82、仮名)が2002年、静岡県三島市の老人保健施設「ラ・サンテふよう」に姿を見せた時は、話しかけても反応がなく、時々、「あー」と大声を出すだけだった。とてもやせていた。


看護介護長の藤尾祐子さんは「脱水や低栄養による意識低下があるので、まず健康状態を回復させます」と家族に説明した。1日1300ミリ・リットルの水分、1500キロ・カロリーの食事を取り、下剤をやめて規則的な排便を促すことに。


この結果、入所2日後にはスタッフと簡単なあいさつができるようになった。脱水症状が消えると、便意や食欲が戻った。やせて合わなくなっていた入れ歯を直すと、固形物も取れるようになった。2か月で食事、トイレも自分でできるようになり、自宅への試験外泊を繰り返した後、家族の元に戻った。


昨年11月に入所した岡田照子さん(74、同)は服を着替えさせようとする職員に殴りかかり、診察する医師の手を払いのけた。お茶を口に入れても吐き出した。本人の意向を聞こうとしても、「何がなんだかわからない」と言うだけ。


そこで岡田さんの担当者を決め、朝、夕あいさつしたり、一緒に散歩をしたりと、顔なじみになって安心させることを心がけた。4日目にゼリーを食べ、担当者と回転ずしに出かけたのをきっかけに普通に食事を取るようになった。1か月後には、若い男性職員について藤尾さんが「男前でしょう」と冗談を言うと、「うちのお父さん(亡くなった夫のこと)の方がもっと男前よ」と言い、二人で大笑いした。現在は身の回りのことはほぼ自分でできる。


認知症の症状は、はいかい、妄想、暴言などの「周辺症状」と、物忘れや状況の判断ができないなどの「中核症状」に分かれる。家族を悩ませるのは、おもに周辺症状だ。


「ラ・サンテふよう」では毎月、何人もの認知症のお年寄りが自宅に戻っている。「きちんとしたケアをすれば周辺症状は消えると確信している。物忘れ程度なら家族が補えば自宅で暮らしていける」と藤尾さんは言う。


グループホームを運営している北海道のNPO法人「オーディナリーサーヴァンツ」でも、周辺症状がなくなった認知症の人を自宅に戻す取り組みをしている。


「認知症のケアで大事なのは水、栄養、排せつ、適度な運動。環境不適応がある時は顔なじみの担当者をつくること。こうした実践で認知症を治すことができる」。国際医療福祉大大学院教授の竹内孝仁(たかひと)さんは強調する。


読売新聞
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