若年性アルツハイマー病…発病に伴う戸惑い共感

2006年 06月 02日 (金) | Category : 認知症

わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。

2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。

わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。

介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。

今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。

65歳未満で発症し、次第に記憶を失っていく若年性アルツハイマー病。4月の連載を通して実感したのは、認知症が進行しても、患者は豊かな感情を残している、ということだった。


若年性アルツハイマー病を題材に公開中の映画「明日(あした)の記憶」では、発病して自らの変化に戸惑い、悩む主人公を渡辺謙さんが熱演する。渡辺さんへのインタビューを掲載したところ、東京都世田谷区の進藤登輝子さん(64)は「映画の広告を見た時、私たちのことをまとめたのかと思った」と反響を寄せた。


同区内の特別養護老人ホームに入所する夫の喜久男さん(72)は、かつて銀行で要職に就いていたが、50歳代後半から物忘れが目立ち始めた。


息子のお見合い相手の写真を、二人で見たことがある。美人で東大卒。「すごいね」とため息を漏らしたのに、10分後には、写真を見たことも忘れていた。


つじつまの合わないことを言うようにもなった。息子の結納の席では、夫に話が振られないよう、登輝子さんが一人で話し続けた。「私は元々、あまりしゃべらないのに、性格まで変わってしまった」と笑う。


アルツハイマー病と診断されたのは、65歳の時。以後、頻繁なはいかいや、物を投げつける暴力、トイレ以外での排せつなどが起こった。それでも登輝子さんは、夫が会話や歩行が困難になる2年前まで、自宅で介護を続けた。


「暴力のため、私が押し入れから出られないこともありました。でもその後、主人は自室で頭を抱えるんです。病気で変わっていく自分と、本来の自分とが闘っていたのだと思います」


登輝子さんが昼夜2回、ホームを訪れると、普段は表情の乏しい喜久男さんが満面の笑みを浮かべる。


登輝子さんは、所用で翌日来られない時も「またあした」と言って帰る。「来られない」と言うと、夫は必ず、けいれんや発熱で体調を崩すからだ。


「見放されると思うのでしょうか。認知症の介護は、体験して初めて分かることばかり」と話す。


しかし、認知症患者の介護を一人で続け、悩む人も少なくない。広島県の認知症家族会が今年行った若年認知症の県内調査では、介護者の65%は一時的に代わってくれる人がなく、孤独な介護を強いられていた。家族会などの相談電話には、うつ状態の介護者から「SOS」が届く。


映画などを機に、注目される若年認知症。患者の思いを尊重した福祉サービスの実現と、介護者を支える体制の充実が求められる。(佐藤光展)


介護者が求める施策 広島県の若年認知症家族会の調査では、介護者の半数以上が「専用福祉施設の整備」と「専門の在宅保健・福祉サービスの充実」を希望。「専門相談窓口の設置」「介護家族への経済的支援の充実」などを求める声も多い。


読売新聞
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