若年性アルツハイマー病(7)

2006年 04月 12日 (水) | Category : 認知症

わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。

2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。

わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。

介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。

今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。

体と心の奥に残る記憶


松本照道さん(57)が入院している病室の洗面鏡は、緑色の画用紙で覆われている。妻恭子さん(49)がつぶやいた。


「最近は、自分の顔も分からなくなって……」


若年性アルツハイマー病になった照道さんは夜、窓に映る自分の姿にもおびえる。恭子さんが付き添わないと、眠れない。


中学教諭の勤めの後、恭子さんは午前2時、3時まで病室で過ごす。自宅に戻り、2時間半ほどの睡眠をとって学校へ向かう。そんな生活が半年も続く。


中学校では、知識を吸収して成長する子どもの姿に励まされる。だが、照道さんは反対の道をたどる。そこに光は見えるのだろうか。


「過去やこれからを思うと、悲しくなります。今日はこんなことができた、まだこんなことができるんだと、その日その日の発見に喜びを見つけたい」


だが、退院しても、照道さんはもう一人で家に置いておけない。「学校を辞めようか」。心は揺れる。


「恭子さんはいい人だ」。そう繰り返していた照道さんが突然、指を鳴らす。カラオケの十八番だった「ダイアナ」がラジカセから流れてきた。サビの部分を口ずさみ、恭子さんの手を取り、踊る。音楽や、体で覚えた記憶は忘れにくい。


個室の利用は経済的に厳しいが、「音楽を一日中聴ける環境には代え難い」と恭子さんは言う。


机上のパソコン画面に、夫婦の写真が順番に映る。おめかしした二人の食事場面が現れた。


「あれは結婚記念日に」。恭子さんの説明に、照道さんが驚く。「恭子さん、結婚されたん?」


「私が妻だということも、忘れてしまったのかもしれない。面倒を見てくれる便利な人だから、覚えているだけかもしれない」


部屋の空気が沈む。照道さんは恭子さんの肩を抱き、笑顔で語りかけた。


「どうしてん、恭子さん。わしががんばるけん、心配せんでもええけえ」


翌日、記者は一人で病室を訪ねた。恭子さんが妻だということを、本当に忘れてしまったのだろうか。もう一度、確かめたかった。


「新幹線で、東京から」。記者の言葉を、照道さんは繰り返す。パソコンに恭子さんの後ろ姿が映った。


「これは誰ですか」。少し意地悪な質問に、歯切れのいい言葉が返ってきた。


「恭子です」


「恭子さん」ではなく、「恭子」。夫の照道さんが、ここにいる。


「恭子さんは、いい奥さんですね」と念を押す。


返事はない。だが、初めて見せるはにかんだ笑顔が、すべてを物語っていた。


認知症の専門医療機関 精神科や神経科が治療の窓口になるが、早期発見を目的に「物忘れ外来」を開設する医療機関が増えている。日本老年精神医学会のホームページ(http://www.rounen.org)には、認知症治療の経験を積んだ医師と医療機関のリストが掲載されている。


読売新聞
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