若年性アルツハイマー病(6)

2006年 04月 11日 (火) | Category : 認知症

わが国の高齢者介護は、1963年に老人福祉法が制定された以降、70年代の老人医療費の無料化、80年代の老人保健法の制定、90年代の福祉8法の改正・ゴールドプランの制定など、人口の急速な高齢化が進む中で、時代の要請に応えながら発展してきた。

2000年4月から実施された介護保険制度は、措置から契約への移行、選択と権利の保障、保健・医療・福祉サービスの一体的提供など、わが国の高齢者介護の歴史においても時代を画す改革であり、介護保険制度の導入によって高齢者介護のあり方は大きく変容しつつある。

わが国の平均寿命は世界でも最高水準となった。高齢期は今や誰もが迎えると言ってよい時代となっており、また、高齢者となってからの人生も長い。その長い高齢期をどのように過ごすのかは、個人にとっても社会にとっても極めて大きな課題となっている。

人生の最期まで、個人として尊重され、その人らしく暮らしていくことは誰もが望むものである。このことは、介護が必要となった場合でも同じである。

そうした思いに応えるためには、自分の人生を自分で決め、また、周囲からも個人として尊重される社会、すなわち、尊厳を保持して生活を送ることができる社会を構築していくことが必要である。また、高齢者介護においても、日常生活における身体的な自立の支援だけではなく、精神的な自立を維持し、高齢者自身が尊厳を保つことができるようなサービスが提供される必要がある。

介護保険は、高齢者が介護を必要とすることとなっても、自分の持てる力を活用して自立して生活することを支援する「自立支援」を目指すものであるが、その根底にあるのは「尊厳の保持」である。

今、私たちの直面する高齢者介護の課題をとりあげたい。

妻の顔だけ覚えている


「お父さんの所に行きましょうか」 松本恭子さん(49)に促され、病室に向かう。アルツハイマー病を患う夫の照道さん(57)は、足に潰瘍(かいよう)ができる持病のリベド血管炎が悪化し、昨年10月から広島大病院に入院していた。


両足のひざ下にできた大小の潰瘍から出血し、治療は難航していた。


個室のドアを開ける。日当たりのよい部屋で、ラジカセから流れる好みのフォークソングを聴きながら、壁一面に張った友人、知人の写真に見入っていた照道さんが振り向く。


「だれ、だれ、だれ?」


温和な顔が、恭子さんの背後に立つ記者を見て曇る。


「お父さん、私が分かる?」


「だれ、だれ、あっ、恭子さん」


「こちらは佐藤さん(記者)。私のお友達なの」


ほっとして、うなずく。


「お父さんに会いに、東京から新幹線で来てくれたのよ」


「うわっ、東京から、新幹線で。先生、すごいですね」


照道さんは最近、初対面の人を「先生」と呼ぶ。包帯を厚く巻いた足で立ち上がり、「先生、どうぞ」といすを勧めてくれる。


「すごいなぁ、先生、新幹線で。すげえなこりゃ」


照道さんは、表情豊かに繰り返す。あらかじめ喫茶室で聞いた恭子さんの言葉を思い出した。


「お父さんはもう会話がきちんとできません。話そうとしても適切な言葉が見つからず、単純な言葉に置き換えてしまう。それでも、精いっぱいの表現で佐藤さんを歓迎するはずです」


発病から3年した2004年秋、照道さんは介護保険を使い、デイサービスに通い始めた。だが、周りは高齢者ばかりで、若い照道さんは浮いてしまう。それは、若年認知症患者の多くが直面する問題だった。


群馬県こころの健康センター所長の精神科医、宮永和夫さんは「若年認知症患者には、体を動かしエネルギーを発散させる取り組みが必要。静的な高齢者向けプログラムでは、自尊心を傷つけられたり、イライラを募らせたり、逆効果になることが多い」と話す。


だが、照道さんは持ち前の明るさで乗り越えた。高齢者の話し相手をしたり、肩をもんだりして溶け込んでいった。恭子さんは「毎回張り切って出かけていました」と振り返る。


ところが、昨秋の入院でデイサービスはやむなく中断。間もなく、照道さんは恭子さん以外の人の顔を忘れ、自分の名前を漢字で書けなくなった。病院という特殊な環境が、照道さんの記憶をどんどん吸い取っていった。


若年性アルツハイマー病と介護保険 介護が必要になった場合、65歳未満でも介護保険を利用し、デイサービスやショートステイ、訪問入浴などのサービスを受けられる。しかし、高齢者より「手がかかる」「扱いにくい」などと受け入れに積極的でない施設もある。


読売新聞
現在位置 : Home » 認知症 / 2006年04月 > 記事詳細